ktanaka's Blog

満66歳の爺さんが世界中を徘徊で無くて放浪する記

66歳の爺さん中国・広州へ行く(その2)


中国・広州でが泊るホテルは「酒店」です。普段は1泊当たり中国200元(約3,600)です。中国風朝食が付いています。普段と言いましたが、これが広州交易会のようなイベントが有りますと同じ部屋が3倍の料金になります。このホテルに限らず主だったホテルは何処も特別料金にUPしてしまいます。
部屋の広さはキングサイズのベッド1つに机・テレビ・wifiがついて、間切ったところにシャワー・トイレ・洗面台があります。エアコンではなくクーラーが付いています。ですから1・2月の寒い夜は毛布の重ね着が必要です。

中国のホテルのランクは?で検索しますと下記のように説明していました。


「ヤフーの検索では」


1)基本的には「飯店」がランクが高く、「酒店」、「賓館」、「招待所」、「青年旅館」(俗にいうユースホステル)・・・今はこのランクもアテにならない。とか


2)中国80年代までできたホテルはほとんど飯店といい、酒店はたいていそのあとのものです。
飯店は宿泊の施設だけじゃなく、食事するところでもあるという意味で、酒店はさらに娯楽の施設でもあるというところ。
 


でもが定宿にしているホテルは「酒店」ですが、食事をするレストラン的なところはありませんでした。でも朝食付きなのでどうしているかと言うと、2部屋にテーブルを並べて朝食の食事処としていました。外注先で作った料理を、毎朝7時に大きな鍋を6個ほどその部屋に持ち込み、並べてビュフェスタイルで泊り客に提供するのです。毎日、同じメニューで、白飯・油条・素饅頭・焼き飯・焼きそば・粟がゆ・白米がゆ・ゆで卵等で決して美味しいと言えるものではありません。一応10時迄ですが、無くなればそれで終り。補充なしです。泊り客の90%とが地方からの中国人たちですのでこれが当たり前なのでしょう。


しかしながら、このホテルの下層階にあるレストランで爺が夕食に招かれた食事は豪華なものでした。

子豚の丸焼き

広東風 魚の姿蒸



生き鮑と野菜炒め





次々と料理が運ばれてきます。別に爺が招待を受けているからではなく広州へ出てきたときは家族で毎回食べるのだと言っていました。酒は中国産の赤ワイン・白ワイン。家族6人に爺の計7人でワイワイ言いながら食べる、食べる。「余ったら打包(ダパオ)=持ちかえり するのですか?」と尋ねると「いや、冷たくなったのはうまくない。夜食はここへ来て別の料理をたべるから。」とのたまう。
 すごいなあ、と感心すれど、金持ち中国人はこうして散在するのが当たり前。金を持っていながらこうして散在しないでいる人間は仲間から軽蔑されるそうです。




でも、どうして食事に招待されたかというと、の部屋の前の大部屋が彼らの部屋で、もう夜中の1時過ぎというのに部屋のドアを開けっ放しにしたテレビの音が甲高い女性のおしゃべり声がガンガン周りの部屋に届きます。時には彼らの隣部屋をドアを叩きながら中国語で叫んでいます。
 もう爺は眠る事も出来ず、思い余って「うるさい!しずかにしろ!」って日本語で怒鳴りました。
彼らも一瞬「エッ・・・」と黙り、を見て「ズーベン・ナ?=日本人か?=広東語」と50代の親父が話しかけてきました。


それを機会に知り合いになったのですが、あとで「昨夜は申し訳ない、家族で話し込んで時間を忘れていた。」と言っていました。おそらく広東省のお金持ち一家でしょう根は優しいようでした。

 彼らが帰るというので、朝挨拶を交わしたのですが、彼らの部屋の中は果物の皮・ピーナッツの殻それにひまわりの種の殻、新聞紙などで床が散らかり放題。片づけを知らぬ人たちでした。



別の中国人にその事を話すと、田舎から出てきた中国人は自分達は偉くなってこんな豪華なホテルまで泊れるようになったんだ。と他人に見せ付けるために「このレストランで一番高いのを持ってこい!うまいまずいは関係ない、とにかく豪華な食事をするんだ。」と無茶食いし、「部屋を片付けるのは俺たちじゃない。するのは従業員だ」と、考えているとの事。
目の前でそれを見ると「それも,有かなあ・・・」と思ったでした。
 











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